光に向かってシリーズ(高森顕徹著)の裏話

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精魂を打つ
光に向かって100の花束』84話
精魂を打つ
名刀工・正宗と義弘


 鎌倉時代のこと。
 刀工日本一を決定しようと、十八人を選抜し、おのおの、一刀を造らせた。
 かの有名な岡崎正宗や郷義弘の名刀工も、その中にいた。
 厳しい審査の結果、正宗の刀が最良と判定されたのである。
爐海譴砲呂覆砲、ワケがあるにちがいない。正宗のやつ、ワイロを使ったのかもしれぬ
 当代一の名刀鍛冶を自負していた越中の国・松倉の義弘は、とても釈然とはできなかった。
 自分をだしぬく者を容認できない自信過剰の義弘。
 このうえは決闘を申しこみ、決着をつけようと、鎌倉の正宗を訪ねた。
 この話に出てくる、「越中の国・松倉」は、現在の富山県魚津市にあります。 富山県の地方紙である「北日本新聞」(平成21年6月11日)に、松倉の義弘のことが書かれていましたので、紹介します。
伝説の刀匠 「郷義弘」市民の誇りに

「郷義弘」。刀剣ファンであれば、だれもが知っている越中松倉郷(松倉地区)で鎌倉時代末期に生まれた名刀匠だ。通説によると、鎌倉の五郎正宗に弟子入りし、豪壮な太刀姿の相州伝を極めた後、古里に戻り鍛刀に精魂を傾けた。正宗の弟子「正宗十哲」の中で最も秀でた存在で、正中2(1325)年にわずか27歳で亡くなった。
 郷の刀は江戸期、五郎正宗、藤四郎義光と並び「天下三作」と評された。作刀数が少ないため最も入手が難しい名刀と言われ、国宝に2点、重文に5点が指定されている。
 松倉城入場の門広場近くに平成4年4月に建立された郷義弘顕彰の碑と日本刀をイメージしたモニュメントがある。
(以下略)
 これを見ると、実はすごい人物だったらしいですね。
 知りませんでした。

JUGEMテーマ:読書
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