光に向かってシリーズ(高森顕徹著)の裏話

『光に向かって』シリーズファンが、もうちょっと深く掘ってみました
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一番おいしいものは塩、一番まずいものも塩(その2)
光に向かって100の花束』98話
一番おいしいものは塩、一番まずいものも塩


 この話については、以前に書きました。
http://hikarinoura.jugem.jp/?eid=1

 徳川家康があるとき、本多忠勝、大久保忠勝らの剛の者らを集めて種々、手柄話などさせた後で、食べ物のことで試問した。
「この世で一番おいしいものはなにか、各自の思いを述べてみよ」

 これに対して、家康をうならせる答えを出したのが、「お梶の方」という女性でした。
 では、「お梶」とは、どういう女性なんでしょうか?
 同一人物かどうか分からないのですが、『教科書が教えない歴史有名人の子孫たち』に「お梶」が出ていましたので、紹介してみます。

英勝尼の活躍 (105ページ・太田道灌の項)
 このような江戸太田氏の窮状を救い、その復興に大きな功績をあげたのは、康資の女であった。
 天正18年の北条氏滅亡ののち、関東に入部した徳川家康は、名家の子孫ということで康資の子の重正を召し出して500石を給したが、その妹のお勝(お梶ともいう)もまた、当時わずか13歳で兄の重正とともに召し出され、家康の側室になったのである。非常に勝気で家康に従って戦陣にも出たといわれている。家康の寵愛を得て女子を産んだが早世した。
 しかし、のちに水戸藩祖となる家康の子頼房の准母となるなど、その勢威はきわめて大きなものがあった。
 家康の没後、剃髪して英勝尼と号し、寛永13年(1636)には道灌ゆかりという鎌倉の扇ヶ谷の旧地に英勝寺を創建している。新井白石の『藩翰譜』によれば、英勝尼は春日局の依頼を受けて、竹千代(家光)の将軍擁立にも大いに尽力したという。寛永19年に65歳で没した。法名は英勝院長誉清春。
(中略)
 太田道灌の子孫は、岩付太田氏や江戸太田氏のほかにも多くの一族を分出しているが、とくに江戸太田氏の家系が江戸時代に大名となって家運を再興することができたのは、ひとえに英勝尼という女性のお蔭であったということになろう。(田代脩)


 これを読むかぎり、やはりすごい人物であったということが分かります。

JUGEMテーマ:読書


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