光に向かってシリーズ(高森顕徹著)の裏話

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金銭を診察したことはない
光に向かって100の花束』82話
金銭を診察したことはない
技量だけではなかった名医


 家康の第十男、徳川頼宣が藩主であった紀伊(和歌山県)に、奈波加慶という名医がいた。
 江戸から帰ったあるとき、紀伊国第一の富豪、鴻池孫右衛門が重病で苦しんでいる、ぜひ診てくれないか、とたのまれた。
 鴻池の使者はそのとき、加慶にこう言った。
「鴻池孫右衛門というお方は紀州第一の大金持ちであります。どうか他の病人よりも、丁寧に診察してくださるようお願いします」
 とたんに加慶のきげんが悪くなり、きっぱりと、断ったのである。
「先ほど、ご依頼をうけたときは、さっそくご診察申し上げようと思いましたが、あなたのお言葉を承って、もはや診察申し上げる気はなくなりました。なにとぞあしからず、孫右衛門さまにも、このよしお伝えくださるよう」
「それはまた、どうしたわけで……」
 驚いてたずねる使者に加慶は、こう諭したという。
「別に理由というほどのことではありません。ただ初めは、重病人でお困りときいたのでいって診ようと思ったのです。ただいまのお言葉だと、大変金持ちであるから、丁重に診察せよとのこと。私は今日まで病人は診察してきたが、金銭を診察したことはありませぬ」
 感服した使者は、非礼を詫びてひきさがったという。
 さすが当代随一の名医、技量だけではなかったのだ。
 権勢にも左右されず、富貴にも心を動かさなかった加慶の優れた人格に、医は仁術をみたのであろう。


この話が、『明良洪範』(メイリョウコウハン)という古い本に載っていました。
この本は、明治45年に国書刊行会から発行されています。著者は、江戸初期の幕臣・真田増誉(サナダゾウヨ)さんです。
詳しくは、国会図書館の近代デジタルライブラリーから探してください。

紀州南龍院公に仕えし奈波道円といえる大儒あり。此の者の甥に奈波加慶という針医、御供にて紀州にありし時、和歌山一番の富豪に鴻池孫右衛門といえる町人、久々煩らい居たるに此の度奈波が来りしを幸いと推挙せし人ありて、療治の事を頼みければ加慶「心得申したり」と答えし時、頼みたる人又申しけるは、「此の孫右衛門は和歌山一の有徳人にて候間、外の病家よりは御精を出され療治いたされ候え」と申しけるを、加慶とくと聞き居たるが右の者坐を立たんとせし時、「只今御頼みの病家へ見廻りの事は御断り申す」というに、頼みたる人大いに驚き、「それは心得ぬ事なり。療治がある由申し入れ候は只今の事なり。然るに手を返す如く御断りとは如何の思し召しにやと咎むるに、「いや初めは病人とばかりうけたまわり候間、請け合い申せしに、重ねて富豪なる故に精を入れ療治致し申すべくとの事に候。我等今日まで病人には針を立て候えども、金銀にはりを立て候事は之無く候ゆえ、御断り申す」とぞ返答しける。誠に道円が甥なりとぞ申しける。


ちなみに、森銑三著『瓢箪から駒―近世人物百話』という本にも、載っています。

儒を以て紀州の南龍公(頼宣)に使えた那波活所の甥に那波加慶という針医があって、同じく紀州家に仕えていた。(中略)
この話も明良洪範にある。遺憾にして、加慶に就いては他に所見がない。南紀徳川史も何等記すところがない。


JUGEMテーマ:読書


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