光に向かってシリーズ(高森顕徹著)の裏話

『光に向かって』シリーズファンが、もうちょっと深く掘ってみました
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一番おいしいものは塩、一番まずいものも塩
光に向かって100の花束』98話
一番おいしいものは塩、一番まずいものも塩


 この話は、以下のように始まっています。
 徳川家康があるとき、本多忠勝、大久保忠勝らの剛の者らを集めて種々、手柄話などさせた後で、食べ物のことで試問した。
「この世で一番おいしいものはなにか、各自の思いを述べてみよ」


 ここに出てくる人たちは、どんな人なんでしょうか?
 この人だろうと勝手に推測して、調べてみました。

徳川家康
1542-1616。江戸幕府初代将軍。1603-05在職。太政大臣。三河国岡崎の城主松平広忠の子として、天文11年(1542)12月26日に生まれた。幼名は竹千代。母は同国刈谷の城主水野忠政の娘で、名はお大。(以下略)〈国史大辞典〉

本多忠勝
1548-1610。戦国時代から江戸時代前期にかけて徳川家康に仕えた武将。江戸時代前期の有力譜代大名。幼名は鍋之助。通称平八郎。中務大輔。天文17年(1548)三河国に生まれる。(中略)幕府創業期忠勝は酒井忠次・榊原康政・井伊直政とならび、徳川四天王と称され、武功派の宿老として徳川氏の覇権確立に尽くしたが、家康の駿府引退後は、本多正信・正純父子ら吏僚派によって政権の中枢から遠ざけられ、慶長15年(1610)10月18日桑名において没した。63歳。(以下略)〈国史大辞典〉

大久保忠勝
新八郎・五郎右衛門・母は某氏。
広忠卿につかえ、天文11年今川義元臨済寺の長老雪斎をして塀を三河に発し、安城の城をせむ。我軍これに会す。忠勝清縄手において衆にさきだちて槍を接え、戦いを励す。(中略)慶長6年9月2日死す。年78。法名徳源。(以下略)〈寛政重修諸家譜〉
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| 駿府 | 2006/12/07 12:06 PM |