光に向かってシリーズ(高森顕徹著)の裏話

『光に向かって』シリーズファンが、もうちょっと深く掘ってみました
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みんな欲に殺される
光に向かって100の花束』43話
みんな欲に殺される あんな広大な土地はいらなかったのだ


この話は、次のように始まっています。

 昔、隣接する大国と小国があった。
 人口が少なく広大な土地が遊休している大国にたいして、小国は、人口密度が高く狭小な土地を取りあいコセコセしていた。
 大国の王様があるとき、小国の農民たちに触れを出した。
「オレの国へくる者には、土地をほしいだけ与えよう」
「王様、ほしいほどとおっしゃいますが、本当でございましょうか」
 半信半疑でやってきた小国の農夫たちはたずねる。
「ウソは言わない。見わたすかぎりといっても区切りがつかないから、おまえたちが一日歩きまわってきた土地を与えることにしよう。ただ一つ条件がある。朝、太陽が昇ると同時に出発し、角々に標木を打ち、太陽の沈むまでに出発点にもどることだ。その間、歩こうが走ろうが、おまえたちの勝手だが、一刻でも遅れれば、一寸の土地も与えぬから注意せよ」


この話は、トルストイの作品の中にあります。"Something You Forgot...Along the Way " (英語版『光に向かって』)にも、そのように書かれています。「中外日報」(平成22年9月7日)にも載っていました。

本当に必要な物は決して多くはない

 トルストイの寓話にこういうものがある。
 あるロシア人がモンゴルの長者から土地を買った。金を受け取った長者はロシア人を広大な平原に連れて行き、日の出から日の入りまで歩いて囲んだ土地はすべてあなたの物だ、ただし、日没までに出発点に帰り着かなければ、すべては無効になる、と言った。
 ロシア人は日の出とともに歩き出し、肥えて豊かな土地欲しさに休むこともなく、飲食のために腰を下ろすこともなく、ただひたすら歩き続けた。もう充分だから戻ろうと思っても、いやいやこんな素敵な土地を手に入れないわけにはいかないと歩き続けて、ふと気が付くと、草原の彼方に日が傾いている。
 驚いた彼は出発点に向けて走り出した。苦しくても、腹が痛んでも、のどが渇いても、目がくらんでも、無理に無理を重ねて走り続け、日没と同時に出発点にたどり着いた。そこにはモンゴルの長者が待っていて、高笑いしながら、いやお見事、お見事、この広大な土地は皆あなたの物ですぞと言った。ところがロシア人はばったり倒れて死んでしまったのである。
 長者はちょうどロシア人の体が入るだけの穴を掘って埋葬してやったという。結局彼に必要なのはそれだけの広さの土地だったというわけである。
欲のために生き、欲に殺され、人生の目的を見失う人生は送りたくないものです。

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大将たる者、臣下の言葉をよく聞くべし
光に向かって100の花束』5話
大将たる者、臣下の言葉をよく聞くべし


ここには、徳川義直が、持田主計という秘書の諫言に耳を傾け、重用したエピソードが書かれています。 この話が、『日本例話大全書』(有馬 朗人, 奈良 康明, 中西 進, 宮坂 宥勝)にも載っていました。
死罪覚悟のうえでの忠告
持田治左衛門

 尾張名古屋城は、家康の九男で、御三家の筆頭尾張徳川家の始祖である徳川義直(1600〜50)の居城です。
 ある日、名古屋城の広間に大きな張り紙が出されました。そこには城内の重臣9人の名が書き出され、ひとりずつこういう悪業があったと細かく列記してあります。そしてこの弾劾文の最後には、
「あとひとりを加えて合計10人の者、十分に反省しなさい」
と付記されていたのです。列記されている9人の重臣たちにはいずれもよくない噂がありましたから、家臣たちは「残りのひとりというのはいったいだれだろう」と、秘かにささやき合ったのです。
 張り紙の噂を伝え聞いた義直は興味を持って、
「そのような張り紙を書いたのは、何者であろう。また10人めの男とは、だれのことであろう」
と側近にたずねました。側近もうかつなことは言えずもじもじしていると、持田治左衛門が、
「おそれながら、10人めの男とは上さまでございます。詳しいことは、のちほど、書面でお届けいたします」
と答えました。張り紙をしたのは、治左衛門だったのです。治左衛門は退出すると、義直の悪業10カ条を書面にして提出しました。義直は激怒し、家老の竹腰山城守を呼んで、治左衛門をすぐに死罪にするように申し渡しました。山城守はいったん引き下がり、夜になってから義直をたずねました。
「いまどき珍しい、忠義な浪人者を見つけました。ぜひとも、当家でお召し抱えいただきたい。名は、持田治左衛門。いまは浪人ですが、先の主君の過ち10カ条を、死を覚悟で忠告した士でございます。このように志のある者を召し抱えられたら、お家も安泰と存じます」
 山城守の説得に、義直はついにうなずきました。治左衛門は期待を裏切らず、以後、身分を投げ打って尾張家のためにつくしました。
こちらの話のほうが、ちょっと義直の度量が狭いような気がします(笑)が、いずれにしろ、さすがは御三家の一として、幕府を支え続けた尾張徳川家の祖ですね。

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金銭を診察したことはない(その2)
光に向かって100の花束』82話
金銭を診察したことはない
技量だけではなかった名医


 3月5日に書いた、次の話について、別の本にも出ていました。

 家康の第十男、徳川頼宣が藩主であった紀伊(和歌山県)に、奈波加慶という名医がいた。
 江戸から帰ったあるとき、紀伊国第一の富豪、鴻池孫右衛門が重病で苦しんでいる、ぜひ診てくれないか、とたのまれた。
 鴻池の使者はそのとき、加慶にこう言った。
「鴻池孫右衛門というお方は紀州第一の大金持ちであります。どうか他の病人よりも、丁寧に診察してくださるようお願いします」
 とたんに加慶のきげんが悪くなり、きっぱりと、断ったのである。
「先ほど、ご依頼をうけたときは、さっそくご診察申し上げようと思いましたが、あなたのお言葉を承って、もはや診察申し上げる気はなくなりました。なにとぞあしからず、孫右衛門さまにも、このよしお伝えくださるよう」
「それはまた、どうしたわけで……」
 驚いてたずねる使者に加慶は、こう諭したという。
「別に理由というほどのことではありません。ただ初めは、重病人でお困りときいたのでいって診ようと思ったのです。ただいまのお言葉だと、大変金持ちであるから、丁重に診察せよとのこと。私は今日まで病人は診察してきたが、金銭を診察したことはありませぬ」
 感服した使者は、非礼を詫びてひきさがったという。
 さすが当代随一の名医、技量だけではなかったのだ。
 権勢にも左右されず、富貴にも心を動かさなかった加慶の優れた人格に、医は仁術をみたのであろう。


この話が、『日本例話大全書』(有馬 朗人, 奈良 康明, 中西 進, 宮坂 宥勝)に載っていました。

 紀州(現在の和歌山県)徳川頼宣の儒臣、奈波道円の甥に、奈波加慶という針医師がいました。江戸で修業して名声をえて、伯父の招きで紀州へ帰ってきていました。ある日、紀州きっての大富豪鴻池家から使いが来て、病気で難儀をしているから往診してくれ、というのです。
「先生、ご承知でしょうが、鴻池家はお金持ちですから、他家の病人よりひとつ、ていねいに治療をお願いします」この使者の言葉に、加慶は出かける支度をやめてしまいました。
「ご病人だというから行ってあげようと思ったが、その口上を聞いていやになりました。ご主人によろしくお伝えください」
「なにか、お気にさわりましたか」
「初めは、ただの病人だから来てくれとおっしゃった。それなら、と行くつもりでしたが、いまの言葉では、お金持ちだから他の病人よりていねいに治療をせよという。わたしにはその意味を理解しかねます。医者が病人に対するときは、ただ病気を治してあげたいという一心だけで、ほかの考えはなにもありません。きょうまで針を打ってきましたが、まだ金銭に針を立てたことはございません。お金持ちだからといって、別の療治をすることは知りませんので、お断りします」
 加慶はキッパリと拒絶しました。
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金が欲しいと来た者はいたが盗られたことはない
光に向かって123のこころのタネ』74話
金が欲しいと来た者はいたが盗られたことはない
   明治三十三年に没した博多の万行寺の住職、七里恒順師は近代の名僧といわれる。
 ある夜、師の寝室へ強盗が押し入り短刀を突きつけ、「金を出せ」と迫った。
 まじまじと自分を見ている師に、薄気味悪くなった泥棒サン。
「早く出さぬと、殺すぞ、殺すぞ」
とうろたえる。
「金は、床の間の文庫の中にある」
 静かに師が答えると、文庫をかかえて慌てて立ち去ろうとした。
「待ちなさい」
「何か、用か」
 睨みつける犯人に、おだやかに師は言っている。
「実はその金はのう、仏さまからのお預かりものなんだ。本堂へ行って、一言お礼を言ってから帰りなされや」
 威徳に打たれたのであろう。泥棒は素直に本堂へ行き、頭を下げて帰っていった。
 やがて師に、警察から呼び出しがあった。
 あの犯人が捕らえられたのである。
「金品を盗られたのなら、すぐに届けてくださらないと困ります」
「いや、私は盗られた覚えはありませんが……」
「貴僧はそう言われても、犯人がハッキリと白状しているのですから」
「それは何かの間違いでしょう。確かにある晩、金がほしいと言ってやってきた者はいた。
 だが、その人には仏さまにお礼を言って帰りなさいと、与えはしたが盗られたのではない」

このエピソードが、次の本にも紹介されていました。
有馬朗人・中西進・奈良康明・宮坂宥勝監修『日本例話大全書』
仏に礼を言った強盗
 七里恒順上人(1835〜1900)は越後(現在の新潟県)の明鏡寺に生まれ、のちに博多の万行寺で師弟の教育にあたった浄土真宗本願寺派の名僧です。
 その上人が観経中、本堂に強盗が押し入ってきて刀を突きつけ、「お金を出せ」とすごみました。しかし、上人は気づかないようにお経を読み続けます。強盗は戸惑い、結局看経が終わるのを待ちました。
「お金がほしいのか。それなら隣の部屋のタンスのなかにある。必要なだけ持っていくがよい」
 強盗はお金をわしづかみにして逃げようとしました。そのとき、上人の一喝が本堂を揺らしました。
「馬鹿者。仏さまからお金をもらっておいて、礼も言わずに帰るつもりか」
「へ、へい。どうもありがとうございました」
 強盗は圧倒され、ご本尊に頭を下げて逃げていきました。それから数日後、上人は警察に呼び出されました。強盗を逮捕して余罪を追及したところ、お寺からも奪ったと白状したが、なぜ被害届けを出さなかったのかと苦情を言われたのです。上人は平然として刑事に答えました。
「いや、別に盗られはせぬ。ほどこしたのじゃ。その証拠に、男は礼を述べていった。強盗が礼など言うはずがない。許してやってくれぬか」
 男は収監されましたが、上人の話を聞かされてこころを打たれ、罪を悔いて刑に服しました。
 数年後、出獄してきた男はすぐさま万行寺をおとずれ、七里上人に罪をわびました。そして弟子入りを願ったのですが、上人は出家を勧めず、なんと寺の経理の仕事につかせたのです。
 これには周囲の人びとが驚きました。元強盗に寺のお金を任せるというのですから当然です。しかし、上人の信頼に感謝したこの男が、生涯を寺のために捧げることになったのです。
※この本では、七里師が読経中の出来事であって、またかなり剛胆な人物、と書かれています。  また、読経のことを「観経」とか「看経」とも言うのだと、恥ずかしながら初めて知りました。
(前者は『広説仏教語大辞典 』にも出ていませんでした)

江部鴨村『美談逸話全集』
高僧と盗賊
 九州に七里恒順という高僧があった。ある夜、強盗が押入り抜刀で恒順を脅かした。然るに恒順は平然として賊に向い「他人の家に来るのに、抜刀で尻を捲くり頬被りして、一言の断りもなしに上がって来るという法があるか、お前は礼儀作法を知らぬのか」とキメつけた。之には流石の盗賊も大いに恐れ入って、頬被りを取り、裾を直し、刀を鞘に納めて畏まった。そこで恒順は金八十両をめぐみ、篤と後来を戒めてやった。
 然るにその賊は依然として悪行を改めなかったものと見え、遂に警察の手に捕縛された。取調べのとき恒順も証人として召喚されたが、裁判官が「曽てこの賊が押入ったことがあろう」と糺ねたところ、恒順は「いや、賊に襲われた覚えはない、ただ一夜、貧しいものに若干の金を恵んでやったことがある」と答えた。
 傍に聞いて居った盗賊は恒順の言葉にヒドく感激して、真に善心に立ち返り、出獄後杉原某という僧になったと云う。
※こちらはだいぶ設定が違いました。

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精魂を打つ
光に向かって100の花束』84話
精魂を打つ
名刀工・正宗と義弘


 鎌倉時代のこと。
 刀工日本一を決定しようと、十八人を選抜し、おのおの、一刀を造らせた。
 かの有名な岡崎正宗や郷義弘の名刀工も、その中にいた。
 厳しい審査の結果、正宗の刀が最良と判定されたのである。
爐海譴砲呂覆砲、ワケがあるにちがいない。正宗のやつ、ワイロを使ったのかもしれぬ
 当代一の名刀鍛冶を自負していた越中の国・松倉の義弘は、とても釈然とはできなかった。
 自分をだしぬく者を容認できない自信過剰の義弘。
 このうえは決闘を申しこみ、決着をつけようと、鎌倉の正宗を訪ねた。
 この話に出てくる、「越中の国・松倉」は、現在の富山県魚津市にあります。 富山県の地方紙である「北日本新聞」(平成21年6月11日)に、松倉の義弘のことが書かれていましたので、紹介します。
伝説の刀匠 「郷義弘」市民の誇りに

「郷義弘」。刀剣ファンであれば、だれもが知っている越中松倉郷(松倉地区)で鎌倉時代末期に生まれた名刀匠だ。通説によると、鎌倉の五郎正宗に弟子入りし、豪壮な太刀姿の相州伝を極めた後、古里に戻り鍛刀に精魂を傾けた。正宗の弟子「正宗十哲」の中で最も秀でた存在で、正中2(1325)年にわずか27歳で亡くなった。
 郷の刀は江戸期、五郎正宗、藤四郎義光と並び「天下三作」と評された。作刀数が少ないため最も入手が難しい名刀と言われ、国宝に2点、重文に5点が指定されている。
 松倉城入場の門広場近くに平成4年4月に建立された郷義弘顕彰の碑と日本刀をイメージしたモニュメントがある。
(以下略)
 これを見ると、実はすごい人物だったらしいですね。
 知りませんでした。

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一番おいしいものは塩、一番まずいものも塩(その2)
光に向かって100の花束』98話
一番おいしいものは塩、一番まずいものも塩


 この話については、以前に書きました。
http://hikarinoura.jugem.jp/?eid=1

 徳川家康があるとき、本多忠勝、大久保忠勝らの剛の者らを集めて種々、手柄話などさせた後で、食べ物のことで試問した。
「この世で一番おいしいものはなにか、各自の思いを述べてみよ」

 これに対して、家康をうならせる答えを出したのが、「お梶の方」という女性でした。
 では、「お梶」とは、どういう女性なんでしょうか?
 同一人物かどうか分からないのですが、『教科書が教えない歴史有名人の子孫たち』に「お梶」が出ていましたので、紹介してみます。

英勝尼の活躍 (105ページ・太田道灌の項)
 このような江戸太田氏の窮状を救い、その復興に大きな功績をあげたのは、康資の女であった。
 天正18年の北条氏滅亡ののち、関東に入部した徳川家康は、名家の子孫ということで康資の子の重正を召し出して500石を給したが、その妹のお勝(お梶ともいう)もまた、当時わずか13歳で兄の重正とともに召し出され、家康の側室になったのである。非常に勝気で家康に従って戦陣にも出たといわれている。家康の寵愛を得て女子を産んだが早世した。
 しかし、のちに水戸藩祖となる家康の子頼房の准母となるなど、その勢威はきわめて大きなものがあった。
 家康の没後、剃髪して英勝尼と号し、寛永13年(1636)には道灌ゆかりという鎌倉の扇ヶ谷の旧地に英勝寺を創建している。新井白石の『藩翰譜』によれば、英勝尼は春日局の依頼を受けて、竹千代(家光)の将軍擁立にも大いに尽力したという。寛永19年に65歳で没した。法名は英勝院長誉清春。
(中略)
 太田道灌の子孫は、岩付太田氏や江戸太田氏のほかにも多くの一族を分出しているが、とくに江戸太田氏の家系が江戸時代に大名となって家運を再興することができたのは、ひとえに英勝尼という女性のお蔭であったということになろう。(田代脩)


 これを読むかぎり、やはりすごい人物であったということが分かります。

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約束は、必ず、はたさなければならない(追加2)
光に向かって100の花束』2話
約束は、必ず、はたさなければならない


この話について、最初に書いたもの追加したもの、さらに加えて類似の話題がありましたので、載せておきます。

大日本雄弁会講談社・編『美談逸話集』
◇約束の貴さ
 有名な歴史家のサー・ウイリアム・ナピールがある日散歩していると、路傍に貧しい姿の少女が陶器のかけらを両手に持って、泣きじゃくっていた。ナピールが優しく仔細を訊くと、少女の家は親一人子一人で、老父は明日をも知れぬ大病だが、その病父のために家主から五合入りの罎を借りて、牛乳を買いに行こうとしたところ、落して壊してしまった。家主は、元来因業な人だから、どんなに怒るか知れない、というのだった。
 ナピールは憫れを感じて、ポケットから蟇口を取出して見たが、生憎この貧乏な学者には一文もなかった。
「明日の今頃ここへおいで。私がその牛乳罎のお金をあげるから。」
 しかしその翌日、五、六里離れた町の友人から手紙が来た。それは、「ナピールの研究のために保護者となろう、という貴族が来たが、午後には帰ってしまうから直ぐこい。」と書いてある。しかしそこへ行けば少女に会う時間はない。そこでナピールは友人へ、
「私には今日大事な約束の用件がある、失礼だが又の日に頼む。」
といってやり、少女との約束を果した。
 貴族は一時ナピールを傲慢な奴と譏ったが、後にそれと知って、ナピールの人格を深く尊敬して後援した。



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約束は、必ず、はたさなければならない(追加)
光に向かって100の花束』2話
約束は、必ず、はたさなければならない


この話については、前にも書きましたが、類似の話題がありましたので、追加で載せておきます。

小原國芳『例話大全集』
ランケと少年(大切な先約)(同情・信義)
 有名な歴史家のランケが、まだ一生懸命に勉強に努めていたころの話である。
 ある日、読書に疲れて郊外を散歩していると、道に一人の牛乳配達の少年が、泣いているのを見かけた。近づいて見ると、たくさんの牛乳びんがころがり、あたり一面に牛乳が流れていた。配達の途中、道を急ぎ過ぎたため、石につまずいてしまったのである。しかし、もとより貧しい少年なので、主人にそれを償うことが出来ない。困ってしまって嘆き悲しんでいるのであった。
 ランケはどろまみれの少年をやさしく助け起こし、その話を聞いて心から同情した。このままに見過ごすことはできない。しかし、ランケはあいにく財布を持っていなかったので、明日お金を持って来てやるから、ここに来て待っているようにと約束した。
 ところがそのあくる日、ランケのところへ友人から手紙が着いた。それは、今日、ランケのために研究費を寄付したいという富豪が訪ねてくるから、ぜひ面会に来るようにというのであった。ランケは非常に喜んだ。しかし、そのとき、彼は昨日の少年との約束を思い出した。
 そして彼は、友人に返事を書いた。
「せっかくだが、今日は大切な先約があるから、行くことができない。悪しからず。」


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身を捨ててこそ浮かぶ瀬はあれ
光に向かって123のこころのタネ』105話
身を捨ててこそ浮かぶ瀬はあれ


 武士とはいえ一向に、剣の素養も仕合い度胸もない男がいた。
 ある日往来で、事もあろうに百人斬りを試さんとしている荒武者に、果たし合いを申しこまれたのだ。

この武士は、剣道の達人に「一切の事情を打ち明け、武士としての仕合いの心得と、最上の斬られ方、死に方の伝授を願いで」て、相打ちの法を教わります。
そしていざ決戦の場に赴き、
 すでに覚悟を決していた武士は、今し方教導されたとおりに作法正しく着物をたたみ、堂々と進み出て大上段に身構え、懸命に相手の動きに専心し機を待った。
 ところがなかなか打って来る気配はなく、一向に剣気が湧かぬ。
 やがて、おいおい集まってきた大衆のどよめきとともに、
「参った」
という声が聞こえたので、目を開いて驚いた。
「実に恐れ入ったお手並み、到底、我が輩などの及ぶところではござらぬ。その気合、寸分の隙もない構え、何とぞその極意を教えてくだされ」
 脂汗にまみれた荒武者が、眼前に平身低頭していたという。

という話です。

これで終わりかと思いきや、中野東禅『好きな話』には続きがありました。
(ちなみに主人公の武士は茨木春齋、剣道の達人は千葉周作ということになっています)
これは、あぶないとも思った彼の男は、刀を引いて、春齋に訊ねた。
「貴公剣術が出来そうにも見えないが、今の無相剣の構えは素晴らしい。一体、いつどこでその剣法を習得されたか。」
春齋は気の良い男であった。相手がそう言うと、心を許して、千葉周作に伝授されたことを逐一話した。もうこの時心に油断のスキを見せてしまった。
「そうか、道理であの無相剣の構えには寸分の隙がない、斬れば自分も命はない、俺には斬り込めなかった。」
春齋は、彼の話を聞いていて、いい心持になってしまった。従って、すっかり気をゆるめて話し合っていたが、彼の浪人体の男はどこまでも意地の突っ張った人間であった。
「エイッ。」
と一声、ピカリと眼の前に光ったものが見えたと思った一刹那、春齋は抜き討ちに斬られた。


かわいそうですが、笑い話になってしまいました。

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金銭を診察したことはない
光に向かって100の花束』82話
金銭を診察したことはない
技量だけではなかった名医


 家康の第十男、徳川頼宣が藩主であった紀伊(和歌山県)に、奈波加慶という名医がいた。
 江戸から帰ったあるとき、紀伊国第一の富豪、鴻池孫右衛門が重病で苦しんでいる、ぜひ診てくれないか、とたのまれた。
 鴻池の使者はそのとき、加慶にこう言った。
「鴻池孫右衛門というお方は紀州第一の大金持ちであります。どうか他の病人よりも、丁寧に診察してくださるようお願いします」
 とたんに加慶のきげんが悪くなり、きっぱりと、断ったのである。
「先ほど、ご依頼をうけたときは、さっそくご診察申し上げようと思いましたが、あなたのお言葉を承って、もはや診察申し上げる気はなくなりました。なにとぞあしからず、孫右衛門さまにも、このよしお伝えくださるよう」
「それはまた、どうしたわけで……」
 驚いてたずねる使者に加慶は、こう諭したという。
「別に理由というほどのことではありません。ただ初めは、重病人でお困りときいたのでいって診ようと思ったのです。ただいまのお言葉だと、大変金持ちであるから、丁重に診察せよとのこと。私は今日まで病人は診察してきたが、金銭を診察したことはありませぬ」
 感服した使者は、非礼を詫びてひきさがったという。
 さすが当代随一の名医、技量だけではなかったのだ。
 権勢にも左右されず、富貴にも心を動かさなかった加慶の優れた人格に、医は仁術をみたのであろう。


この話が、『明良洪範』(メイリョウコウハン)という古い本に載っていました。
この本は、明治45年に国書刊行会から発行されています。著者は、江戸初期の幕臣・真田増誉(サナダゾウヨ)さんです。
詳しくは、国会図書館の近代デジタルライブラリーから探してください。

紀州南龍院公に仕えし奈波道円といえる大儒あり。此の者の甥に奈波加慶という針医、御供にて紀州にありし時、和歌山一番の富豪に鴻池孫右衛門といえる町人、久々煩らい居たるに此の度奈波が来りしを幸いと推挙せし人ありて、療治の事を頼みければ加慶「心得申したり」と答えし時、頼みたる人又申しけるは、「此の孫右衛門は和歌山一の有徳人にて候間、外の病家よりは御精を出され療治いたされ候え」と申しけるを、加慶とくと聞き居たるが右の者坐を立たんとせし時、「只今御頼みの病家へ見廻りの事は御断り申す」というに、頼みたる人大いに驚き、「それは心得ぬ事なり。療治がある由申し入れ候は只今の事なり。然るに手を返す如く御断りとは如何の思し召しにやと咎むるに、「いや初めは病人とばかりうけたまわり候間、請け合い申せしに、重ねて富豪なる故に精を入れ療治致し申すべくとの事に候。我等今日まで病人には針を立て候えども、金銀にはりを立て候事は之無く候ゆえ、御断り申す」とぞ返答しける。誠に道円が甥なりとぞ申しける。


ちなみに、森銑三著『瓢箪から駒―近世人物百話』という本にも、載っています。

儒を以て紀州の南龍公(頼宣)に使えた那波活所の甥に那波加慶という針医があって、同じく紀州家に仕えていた。(中略)
この話も明良洪範にある。遺憾にして、加慶に就いては他に所見がない。南紀徳川史も何等記すところがない。


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